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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和52年(ネ)112号 判決 1981年2月18日

控訴人 池田浩二

<ほか一二名>

右控訴人ら訴訟代理人弁護士 菅野昭夫

被控訴人 日本国有鉄道

右代表者総裁 高木文雄

右訴訟代理人弁護士 鵜沢勝義

同 鵜沢秀行

右指定代理人 松田紀元

<ほか七名>

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は「原判決を取り消す。被控訴人が昭和四四年三月三一日控訴人らに対して行った原判決添付別紙目録処分欄記載の各懲戒処分は、いずれも無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人らは主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同じである(ただし、原判決三五枚目表三行目に「荷酷」とあるのを「苛酷」と訂正する。)から、これを引用する。

(控訴人らの主張)

原判決は、控訴人らに対する被控訴人の本件懲戒処分について、控訴人ら主張の違法無効事由の主張を悉く排斥して、本件懲戒処分は有効である旨判示した。しかし、原判決のこれらの判断は次に述べるとおり、いずれもきわめて不当なものである。

一、懲戒処分事由の認定の誤り

(一)  「承認を得ずして、またはみだりに勤務を欠いた」との認定の誤り

1 原判決は、控訴人らに対する本件懲戒処分事由の認定に当たり、まず「本件斗争の際の欠勤が全原告の懲戒処分事由となっていることが明らかであるからまずこの点について検討する」として、控訴人らがいずれも年次有給休暇の「請求」をなした上で勤務をしなかったことについては、「労働者がその所属する事業場の業務の正常な運営の阻害を目的として、一斉に休暇届を提出して職場を放棄、離脱するいわゆる一斉休暇斗争の場合には、それが当該事業場の全労働者によってなされるか、その一部分によってなされるかを問わず、その実質は同盟罷業であって、その性質上、一般の年休請求及びこれに対する使用者の時季変更権のような、業務の正常な運営を前提とした労基法上の制度をもってこれを律することはできない。従って、この場合には、使用者側が労基法三九条三項の時季変更権を行使したかどうかにかかわりなく、労働者の休暇請求によっても年休は成立しないものと解するほかはない」との見解を前提に、「原告らの各年休請求は、動労北陸地本の斗争指令第四号の二による一割休暇戦術に基づくものであり、右戦術は当局側の勢力を分散釘付けにする一方、準拠点地区への助勤等を完全に排除する目的をもっていたのであるから、各休暇請求及び欠勤は、当該休暇請求者の所属する事業場の業務の正常な運営の阻害を目的としていたものであり、その実質は同盟罷業にあたり、年休請求権の行使とは認められない。」「そうすると、原告らの本件各欠勤は、前記処分事由にいわゆる承認を得ずして欠勤し、あるいはみだりに勤務を欠いたものに該当する」と認定したのである。

2 しかしながら、原判決の右判断は、まずその前提とした年休と争議行為との関係についての見解自体において誤っているといわねばならない。

即ち、国労郡山工場事件及び林野庁白石営林署事件についての最高裁判所第二小法廷昭和四八年三月二日判決(以下「三・二判決」という。)は、この点について次のように判示しているのである。

「年次休暇の利用目的は労基法の関知しないところであり、休暇をどのように利用するかは、使用者の干渉を許さない労働者の自由であるとするのが法の趣旨であると解するのが相当である。

ところで論旨は、休暇の利用目的に関連して、いわゆる一斉休暇闘争の場合を論ずるが、いわゆる一斉休暇闘争とは、これを、労働者がその所属の事業場において、その業務の正常な運営の阻害を目的として、全員一斉に休暇届を提出して職場を放棄、離脱するものと解するときは、その実質は年次休暇に名を借りた同盟罷業にほかならない。」

「しかし以上の見地は、当該労働者の所属する事業場においていわゆる一斉休暇闘争が行なわれた場合についてのみ妥当しうることであり、他の事業場における争議行為に休暇中の労働者が参加したか否かは、なんら当該年次休暇の成否に影響するところはない。ただし、年次有給休暇の権利を取得した労働者が、その有する休暇日数の範囲内で休暇の時季指定をしたときは、使用者による適法な時季変更権の行使がない限り、指定された時季に年次休暇が成立するのであり、労基法三九条三項但書にいう『事業の正常な運営を妨げる』か否かの判断は、当該労働者の所属する事業場を基準として決すべきものであるからである。」

最高裁がこのように、いわゆる一斉休暇闘争は年休権の行使に当たらないと判示したことについては、学説は概ねこれに反対し、年休の利用目的は自由であるとの一般論と矛盾するとし、あるいは年休自由利用の原則をこの場合も貫くべきであるとしているのである。

しかし、右はともかくとして、この三・二判決を前提にしても、最高裁が年休権の行使には当たらないとした「いわゆる一斉休暇闘争」とは、最高裁自らが「労働者がその所属の事業場において、その業務の正常な運営の阻害を目的として、全員一斉に休暇届を提出して職場を放棄、離脱するものと解するときは、その実質は年次休暇に名を借りた同盟罷業にほかならない」と述べているとおり、いわゆる全員一斉休暇闘争を指していることは明らかである。

原判決のように「それが当該事業場の全労働者によってなされるかその一部分によってなされるかを問わず」とする見解は明らかに三・二判決の趣旨に沿わないものであり、原判決のような見解をとれば、三・二判決の二つの事案とも郡山工場及び白石営林署の複数の労働者が「一斉に」休暇を請求して(宮城県岩沼駅及び気仙沼営林署の争議に参加すると共に)当該郡山工場及び白石営林署の業務の正常な運営を阻害したとして、三・二判決とは異なり、それら労働者の年休は年休権の行使ではないという結論になってしまう筈である。

3 さらに原判決が、控訴人らの年休請求が実質は同盟罷業にあたるとした事実認定もまたきわめて不当なものである。

(1) まず準拠点(金沢運転所、福井機関区、七尾機関区)の控訴人らのそれについて論ずると、本件闘争における準拠点の任務とは、拠点と異なり、当該事業場でストライキその他の争議行為を行うのではなく、拠点事業場の争議行為を支援するというものであり、当該事業場の列車の運行などに影響を与えることは目的とされているものではない。そして、当時の乗務員の配置状況及び同月分予備充当可能乗務員数からみても通常でも「承認」される範囲内の労働者が年休請求を、予め被控訴人が時季変更権を行使するに十分な期間をおいて行ったものであり、かつ年休対象の日においても、金沢運転所及び福井・七尾各機関区では何らの争議行為は行われず、控訴人らはそれぞれ各種の組合業務に従事していたのである。そして実際結果的にも列車の運行等通常の業務は何ら影響なかったのである。即ち、準拠点の事業場においては、労基法三九条三項にいう「事業の正常な運営を妨げる」事態を目的としてもいなければ、その結果も生じていない。また、準拠点事業場での公労法一七条一項にいう「業務の正常な運営を阻害する」こともその目的としていないし、その結果も生じていない。

原判決は「右戦術は当局側の勢力を分散釘付けにする一方、準拠点地区への助勤等を完全に排除する目的をもっていたのであるから、各休暇請求及び欠勤は、当該休暇請求者の所属する事業場の正常な運営の阻害を目的としていたものであり」と認定しているが、これは明らかに誤っている。

けだし、「当局側の勢力を分散釘付けにする」といっても、当局側の管理者等が日常の業務を妨げられるわけではない。また、「準拠点地区への助勤等を完全に排除する目的」というのは明らかに事実誤認であって、準拠点ではストライキは行われないから準拠点に対する助勤などは問題にならない。「拠点地区への助勤等を排除する目的」の誤りである。ストライキ当日の拠点の業務の正常な運営は妨げられても、拠点への助勤の排除によって準拠点の業務は何ら妨げられないのである。

原判決のこのような認定からいくと、三・二判決の場合も国鉄郡山工場や林野庁白石営林署の労働者が年休により、宮城県岩沼駅や気仙沼営林署の争議に参加したことも、やはり当局側の勢力を分散釘付けにすることには変わりないし、拠点(岩沼や気仙沼)の争議(業務の正常な運営を阻害すること)を支援しているのだから、やはり郡山や白石の各事業場での「業務の正常な運営を阻害する」ことになってしまうであろう。しかし、三・二判決がそのような結論を斥けていることは明らかである。

(2) 拠点地区の控訴人らについてもストライキ当日を除けば、右に述べたことはそのまま妥当する。けだし、控訴人らに、通常の年休の承認される範囲内で年休請求をなし、かつ控訴人らの年休請求によっても当該事業場でも業務の正常な運営は何ら阻害されなかったのである。従ってこれも適法な年休権の行使にすぎない。

4 現に三・二判決後の一連の下級審判決は、本件と類似した事案において、いずれも原判決と異なり適法な年休権の行使であると解しているのである。

(二)  「指導した」との認定について

1 原判決は、控訴人池田、河村、久津見、松田、小西、村田について、本件闘争当時の支部三役又は乗務員会長としての行為をとらえて、「本件斗争を実質的に指導した」「中央本部派遣役員の指揮のもとで、」「同支部における斗争を具体的に指導した」等指導責任を認定している。

2 しかし動労の性格、労働組合組織の指揮命令系統、規約及び実際上の闘争戦術等の決定及び指令、指揮、服従の実態等に照らして、支部三役にすぎない控訴人らは、中央闘争委員会の決定した戦術に基き、その指令をうけてこれを伝達し、また、具体化した北陸地方本部の指令を支部組合員に伝達したにすぎないものである。

(三)  「その他斗争を実効あらしめる行為をした」との認定について

1 原判決は、控訴人矢島、縄間、坂本、瀬戸、山口、長谷川らについて、それぞれ被控訴人主張の懲戒処分事由たる「その他斗争を実効あらしめるための行為をした」と認定した。

しかし、原判決の事実認定は、単に被控訴人(被告)の主張を鵜呑みにし、控訴人(原告)の反証を全く考慮せず、右認定に反する証拠を全く検討もしていないずさんなものである。例えば、

2 原判決は、控訴人矢島が、「北野機関士の妻に対し、組合に協力しないと輸血してやらない趣旨のことを言った」「土手長旅館において……乗務員らを外に出さないようにしていた」と控訴人(原告)本人尋問の結果などを根拠に認定しているが、控訴人(原告)本人尋問の結果によって明らかになったことは、控訴人矢島は北野機関士とは特に親しい仲であり、矢島が北野の妻に話したこととは、以前北野の弟が交通事故に会い病院に入院し、その際輸血が必要となり、輸血の要請があって五、六名の同僚が輸血のため病院に行って輸血をしてあげたことがある旨話をして、そのような例をあげて日頃から人間関係が大切であると述べただけであって、組合に協力しないと輸血してやらないなどとは決して言っていないのである。また土手長旅館から組合員をし歩も出さないなどということも全くしていない。

3 控訴人瀬戸、山口について、原判決は「被告が九月一〇日午后一〇時四五分頃、同機関区首席助役室前において、土田機関士、真木機関士を、九月一一日午前三時頃坪塚機関士、松浦機関助士を、同日午前四時三〇分頃柴田機関助士を、それぞれ代務要員として保護するため自動車で宿舎に向わせようとした際、原告山口清嗣らとともに右自動車の進路をふさぎ、これを妨害したことが認められる」としている。しかし土田機関士等それらの機関士は、いずれも動労の組合員であり、勤務を終了し、いわば業務指令から自由な状態になっているのに被控訴人当局がこれをそのまま身柄を当局側の旅館へ収容してしまうという措置をとった為に、控訴人瀬戸、山口は、動労の同じ組合員として説得を行うべく、停車している自動車の傍へ赴いたにすぎない。発進自体は妨害していないし、通常の説得活動と同じであって原判決の表現は全く不当といわねばならない。

二、違憲の主張を斥けたことの誤り

原判決が公労法一七条を憲法二八条に違反しないとした論理は次のとおりである。即ち、

1  公労法一七条は、同法の沿革、その立法目的、仲裁裁定を代償措置として規定していること及び同条の文言に照らせば一切の争議行為を禁止したものと解するのが相当である。

2  そうだとすると、公労法一七条は、公社等の職員について、憲法二八条の保障する団体行動のうち争議行為の自由を制限することになる。

3  しかし、公労法一七条一項に違反した者に対して、同法一八条に定める解雇その他の民事責任を伴う態様で争議行為を禁止することは憲法二八条に違反するものではないと解するのが相当である。

この裁判で問われてきたことは、公労法一七条一項が三公社五現業の労働者なかんずく国鉄労働者から全面一律に争議権を剥奪することが果して法的合理性を有するかどうか。こうした全面一律禁止が、憲法二八条で定めた労働基本権の不可侵性、基本的人権制限についての必要最少限度の原則、代償措置の欠如、公労法一七条の立法経過とくに占領下の限時法的性格と立法事実の変化、ILO及び主要資本主義諸国における官公労法制とくに鉄道労働者の争議権がいずれも保障されていること及び我国の官公労労働者に対する全面一律のスト禁止が強い国際的批判にさらされていること、国鉄の公共性はスト権を有する私鉄に比して本質的に異ることはないこと、国鉄労働者の労働条件の劣悪性等々に照らして、不当不合理と判断されるのが当然ではないのかということである。

原判決は、八年間争われたこれらの論点には全く触れることなく、右2のとおり、生存権的基本権たる労働者の争議権について「争議行為の自由」という驚くべき理解に立った上で、何らの理由を示すことなく、3の合憲の結論へ飛躍しているのである。

三、限定解釈等の主張を斥けたことの誤り

(一)  原判決は、控訴人らが予備的に主張した限定解釈論及び争議行為に対し国鉄法の懲戒処分は許されないことの双方についても、殆んど控訴人らの詳細な主張に答えることなくこれを斥けた。

(二)  公労法一七条一項が全面一律に争議権を剥奪したとしか解釈できないとするのならば、その違憲性は余りにも明白である。四・二五判決後のいくつもの下級審判決が、四・二五判決の否定する限定解釈を依然として採用し続けていることは、いわば司法の良心の苦悶を反映しているといわねばならない。しかし原判決は、この点でも全く最高裁に追随した不当な結論を理由なしに示したにすぎない。

四、濫用論を斥けたことの誤り

(一)  原判決は、次のような事実認定を行ったうえ、本件懲戒処分が懲戒権の濫用であるとの控訴人の主張を斥けた。

1 本件闘争の動機目的について十分な正当性を認めることができない。

2 本件闘争に際して広範囲な業務阻害が生じた。

3 本件闘争に対する金沢鉄道管理局管内の処分は、他の名古屋、福知山、米子局等の処分より全体的にやや重い感があり、動労北陸地本が実施した他の闘争のうち昭和四九年及び五〇年各春闘の処分と対比してもこの春闘の列車運休本数が極めて多いことを参照すると、本件処分が相対的にやや重い感がある。

4 控訴人らは中央本部および北陸地本の指揮、命令のもとに具体的指導行為を実施したにすぎないし、また一般刑罰法規に違反するような行為はなかった。

1、2の事実が認められるので、3、4のような事実があっても、なお懲戒処分は裁量権の範囲を逸脱していないというのである。

(二)  しかし、この原判決の事実認定のうち、1、2の各事実はきわめて不当な認定であり、逆に、懲戒処分の苛酷性を裏付ける事実にこそなれ、懲戒処分を正当化する事実とは決してならない。即ち、

1 まず右1の本件闘争の動機、目的の正当性についていえば、原判決は次のように述べている。

「本件斗争の動機、目的の正当性について考察するに、一人乗務の安全性については、学者の間でも議論の分れる問題であったことが認められるから、被告としては一人乗務の実施に当ってはその安全性について十分の説明を行ない、組合の納得をうるような努力を傾注するのが相当であったと思われる。しかしながら、結果的には原則として一人乗務を実施することで問題の決着がはかられたことに照らせば、本件斗争は、原告らの生存権を確保するための切実かつ必要やむをえない動機から敢行されたものというよりは、交渉を有利に導びくための被告に対する牽制として実施された色彩が濃厚であり、原告らが主張する程の正当性を肯認することはできない。」

これは何という乱暴な議論であろうか。「結果的には原則として一人乗務を実施することで問題の結着がはかられた」のだから、本件闘争は、いわば「かけ引き」的闘争にすぎず、正当性はないという論法である。

動労は、輸送の安全を脅かし、著しい労働強化につながる一人乗務に断固として反対の闘いを行ったのである。しかし長期間にわたる闘いによっても遂に、いわば矢尽き刀折れて一人乗務をやむなく受け入れざるを得なかった。これがどうして本件闘争の正当性を否定する理由になるのであろうか。

むしろ、本件闘争の動機、目的としては、単なる賃上げ以上に、いわば、乗務員と国民の生命にかかわる安全問題が本件闘争の目的であり、かつ我国の関連分野の大多数の学者が、一人乗務の危険性を唱えていた(原判決のいうような「一部の学者」ではなく、文字どおり通説的見解であった)。従って、動労の主張は荒唐無稽なものでない以上に、十分な科学性に立脚していたのである。しかも、このような目的の争議行為については、公労委の如きは全く代償措置たる能力を欠如していた。しかるに国鉄当局は、本件闘争当時、事前協議協定も無視し、その安全性について何ら合理的な説明をすることも科学的検討や資料の呈示もなく強行しようとしていた。これらの事実をふまえれば、本件闘争の動機、目的が強い正当性を有することは余りにも明らかである。

2 次に前記2の本件闘争による影響についてである。前記のとおり、原判決は、

「本件斗争に際しては、被告において代務要員等の充当その他列車ダイヤの確保に尽力したのにかかわらず、争いのない事実及び認定事実のとおり敦賀第一機関区、第二機関区、さらには金沢運転所関係で旅客列車、貨物列車あわせて二六本が運休となるなどの広範囲な業務阻害が発生した」

としている。しかし、原判決自らも述べているとおり、運休列車キロは管内の一日の設定列車キロの約一%内外にとどまったにすぎない。本件闘争に対する処分よりもはるかに軽い処分に終わった昭和四九年春闘では、運休列車は旅客一八〇〇本及び貨物三九六本にも達し、昭和五〇年春闘では一部通勤列車を除き全面運休となったのであり、本件闘争が、懲戒処分を史上最苛酷にしなければならない程の、史上最大の影響を与えたとはとうていいえないのみならず、むしろ最も影響の僅少だった闘争といわねばならない。

3 従って原判決の認定した前記1の本件闘争目的の正当性、同2の本件闘争の影響はいずれも本件懲戒処分の苛酷性を理由づけるものであることが明らかになった。これらに加えて、さらに原判決の認定した前記3の他の管理局、他の闘争との処分の不均衡、同4の控訴人らの行為の態様を合わせ考えれば、本件懲戒処分が裁量権の範囲を逸脱していることは多言を要しないというべきである。

(被控訴人の主張)

一、(一) 控訴人らは、控訴人らが本件闘争当日欠務したのは、正当な年休権の行使であるのに、原判決がこれを一斉休暇闘争としたのは、最高裁判所昭和四八年三月二日判決の趣旨に反すると非難するが、原判決が控訴人らの年休請求を一斉休暇闘争と認定したことに何んらの誤りはない。

右判決は、最高裁判所が現実に世間で行なわれている休暇闘争を労働者の、集団的団結活動という側面から捉え、一斉休暇闘争という名の争議行為の存在を肯定して、これを個々の労働者による年次休暇の行使と峻別するという見解をとることを明らかにしたものである。

そして、休暇闘争をこのように争議行為とみる限り、その中で行われる個々の労働者の休暇請求(休暇時季の指定)という行為も、もはや個々の労使関係の問題ではなくなり、本来の年次休暇権の行使でもないから、これに対し、使用者が労基法三九条にいう事業の正常な運営を阻害するかどうかの観点から時季変更権を行使するかどうかの問題は生じないし、また、そういう法的義務もないということになるわけである。

要するに、三・二判決は、休暇闘争という名の争議行為には、労基法の形式に従った休暇の請求ということはありえないという考え方をとったものであること明白である。

(二) 控訴人らは、三・二判決の一斉休暇闘争と年休に関する判旨部分について、学説は概ねこれに反対しているというが、これまでに明らかにされた右判決についての労働法学者の評釈中にも、同判決の右判示部分に反対しながらも、休暇闘争が時として争議行為とみなされうる場合のあることを示しているのである。

つまりそこでは、休暇闘争がもはや年次休暇の行使の対象となる休暇ではなく、争議行為の範疇に入る特殊の行動的概念であることを肯定しているわけである。

年休制度は、さきにも述べたように、個別的労働関係の問題である。それに、争議行為という集団的労働関係の問題をおしこめて適法化しようとするところに法律解釈上の無理があるといわざるをえない。

(三) 一斉休暇闘争は、年休権の適法なる行使と認められないとした三・二判決が極めて正当なることは、右に述べたとおりである。ところが、控訴人らは、原判決は右三・二判決の趣旨に反すると主張する。

三・二判決は、一斉休暇闘争を「業務の正常な運営の阻害を目的として、全員一斉に休暇届を提出して職場を放棄、離脱するもの」と定義している。

同判決がいう「全員一斉に」とは、当該事業所の労働者の全員が一斉にという意味ではなく、何割闘争と呼ばれる組合員の一部が休暇届を出す場合にも「一斉に」それが提出されるかぎり、これに含まれると解されている。

一般に休暇闘争といわれるものは組合の指令に基づき、一定の割合の組合員が形の上では、年次休暇をとるための所定の手続きをとった上、これに対し使用者から時季変更権が行使されようがされまいが、労務の提供を拒否してしまうという性格・実態のものである。休暇請求が一〇割であるか五割であるかは参加対象の範囲の差にとどまり、それ以上に質的相違があるものではない。

実質はストライキであり、全面ストや部分ストと称されるものと変るものではない。一〇割休暇闘争についてのみ、その実質はストライキであり、本来の年次有給休暇権の行使ではないと解すべき合理的根拠はない。

争議行為としてなされる休暇闘争は、すべて時季変更権行使の可否を考えるまでもなく、参加者全員について、年次休暇権の行使とは無縁のものとみられるべきものである。

本件闘争は、原判決の認定しているとおり、控訴人らの各年休請求は、動労北陸地本の闘争指令第四号の二による一割休暇戦術に基づくものであり、右戦術は当局側の勢力を分散釘付けにする一方、拠点地区への助勤等を完全に排除する目的をもっていたものであるから、控訴人らの各休暇請求及び欠勤は、当該休暇請求者の所属する事業場の業務の正常な運営の阻害を目的としたものであり、その実質は同盟罷業にあたり適法な年休請求権の行使とはいえないことは明らかである。

したがって、原判決はなんら三・二判決の趣旨に反してはいない。

(四) 仮りに、控訴人らの年休請求が一斉休暇闘争と認められないにしても、控訴人らの年休請求に対して、その都度それぞれの職場の管理者から年休は付与できない旨伝達されていることは明らかであるので、被控訴人において各控訴人らの年休請求に対して、適法に時季変更権を行使しているのであるから、各控訴人らの年次有給休暇は成立しなかったものである。

二、控訴人らは、原判決が本闘争中の控訴人らの各行動をとらえて、「本件闘争を指導した」とか「その他闘争を実効あらしめる行為をした」と認定したのは、単に被控訴人の主張を鵜呑みにしたにすぎないとか、控訴人らの反証を全く考慮してないずさんなものだと非難しているが、控訴人らの各行動についての事実認定、ならびにそれに対する法的評価については、《証拠省略》に基づき、原判決が詳細に論述しているところであって、その点に控訴人らのいうような事実誤認のないことは、原判決の判示自体から明らかなところである。

控訴人らは「動労の性格、労働組合組織の指揮命令系統、規約及び実際上の闘争戦術等の決定及び指令、指揮、服従の実態等に照らして支部三役にすぎない控訴人らは、中央闘争委員会の決定した戦術に基づき、その指令をうけ、これを伝達し、具体化した北陸地方本部の指令を支部組合員に伝達したにすぎないものである」と主張するが、労働者の争議行為は、労働組合の権限ある機関の決定、指令、指導に従い組織的に遂行され、それは、社会的にその団体の行動として把握される反面、現実には常に組合役員や組合員らの各個人がその企画面から実行まで、いくつかの段階で行なう諸種の共同行為の集積である。

したがって、いくら中央機関における決定があり、中央役員が派遣されてきたとしても、それだけで組織的な共同行為である争議行為が遂行できるものではない。

そこには、各段階における組合役員による組合員に対する組織的な働きかけが不可欠といわざるをえない。いな、むしろ現地の組合役員による働きかけの方が組合員に対する影響ははるかに大きいといわざるを得ない。

したがって、組合の規約上、闘争時には中央機関に権限が移譲されるといっても、それは違法な争議行為に対する責任追求を免がれるための手段にすぎず、本部役員に一切の責任があるというのは、争議の実体を無視した理論といわざるをえない。

三、控訴人らは、原判決が公労法一七条が違憲であるという控訴人らの主張を排斥したことは誤りであると非難する。

公企体職員の争議権を禁止した公労法一七条が憲法に違反していないことは、三鷹事件判決(最高裁判所昭和三〇年六月二二日大法廷判決)以来一貫した最高裁判所の判例であって、なんら異論をさしはさむ余地はない。この点、昭和五二年五月四日の名古屋中郵事件判決においても確認されているところである。

四、控訴人らは、原判決がいわゆる限定解釈論の主張を排斥した点を非難するが、公労法一七条について、これを限定的に解釈しなければ違憲であるとの理論はすでに最高裁判所昭和四八年四月二五日大法廷判決により否定されているのである。

したがって、原判決がいわゆる限定解釈の考え方を採用しなかったことは、まことに正当といわざるをえず、この点についての控訴人らの非難はあたらない。

五、控訴人らは、原判決が処分権の濫用の主張を排斥した点を非難している。

原判決が処分権の濫用について判示した部分のうち、個々の点について、被控訴人においても納得のいかないところが存するが、結論として、本件処分が裁量権の濫用にあたらないとしたことは、本件闘争の目的、態様、影響と控訴人らの行動を勘案すれば当然であって、原判決の判断に何んら違法な点はない。

(証拠)《省略》

理由

当裁判所も原審と同じく、被控訴人の控訴人らに対する本件各懲戒処分はこれを無効とすべき理由がないから、控訴人らの本訴請求はいずれも棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決理由に説示するところと同じである(ただし、原判決四四枚目裏末行に「準拠点地区」とあるのを「拠点地区」と、四九枚目裏八行目に「成立に争いのない乙第三六号証」とあるのを「原審証人山嵜長治の証言により真正に成立したものと認められる乙第三六号証」とそれぞれ訂正し、五六枚目裏五行目から六行目にかけて、「第一五、第一七号証、」とあるのを削除し、同七行目の「第八六号証の一ないし七の各一ないし三」の次に、「弁論の全趣旨より真正に成立したものと認められる甲第一五、第一七号証」を加入する。)から、これを引用する。

(一)  原判決五三枚目裏三行目から同五四枚目裏六行目までの説示(原判決理由四、2項)を次のとおり改める。

「2 控訴人らは、被控訴人に勤務する職員の争議行為等を一律全面的に禁止している公労法一七条一項は、憲法二八条に違反し、無効であると主張する。

しかしながら、被控訴人を含む公共企業体に勤務する職員は、国会の意思とは無関係に資産の処分・運用を行いえない全額国庫出資の公社に勤務しているものであるから、非現業の国家公務員の場合と同様、憲法八三条の財政民主主義に表れている議会制民主主義の原則上、国会の特別委任がない限り、法律・予算の形で勤務条件が決定されるべき特殊な憲法上の地位にある。そのため、これらの職員に対しては、労使による勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権も、その一環としての争議権も、憲法上当然に保障されているわけではないのであって、現行法上これらの職員に協約締結権を含む団体交渉権が付与されているのは、憲法のもとで許されている国会の裁量によるものと解されること、また、これらの事業は利潤の追求を本来の目的としていないから、その労使関係には市場の抑制力が働かないため、ここでは争議権は適正な勤務条件を決定する機能を果すことができないこと、さらに、これらの職員の業務が等しく国民生活全体の利益と密接な関連を有するものであり、その業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあること、加えて、右の職員に対する争議行為禁止に対応する仲裁などの代償措置もよく整備されており、職員の生存権擁護のための配慮に欠けるところはないこと、このような事情を考慮するならば、国会が、国民全体の共同利益を擁護する見地から、勤務条件の決定の過程が歪められたり、国民が重大な生活上の支障を受けることを防止するため、これら職員争議行為を全面的に禁止しても、それが憲法二八条に違反するということはできず、従って、現行の公労法一七条一項も憲法二八条に違反するものでないことは、すでに最高裁判所の判例によって確定されているところであり(昭和五二年五月四日大法廷判決・刑集三一巻三号一八二頁参照。)、当裁判所も、この見解をもって正当と解する。

控訴人らの右主張は採用のかぎりでない。また、控訴人らのその余の公労法一七条の効力に関する主張も、結論において違憲をいう点は当裁判所の採らないところである。」

(二)  原判決六〇枚目裏一〇行目に「以上によってみると、」とあるのを次のとおり改める。

「ところで、国鉄法三一条一項一号及びこれに基づく国鉄就業規則六六条一七号所定の懲戒事由に該当する所為について、具体的にどの処分を選択するのが相当であるかの判断については、懲戒権者たる日本国有鉄道総裁の裁量が認められているものと解される。そして、その裁量は、恣意にわたることをえず、当該行為との対比において甚だしく均衡を失する等社会通念に照らして合理性を欠くものであってはならないが、懲戒権者の処分選択が右のような限度をこえるものとして違法性を有しないかぎり、それは懲戒権者の裁量の範囲内にあるものとしてその効力を否定することはできないというべきである。そこで、本件各懲戒処分につきこれをみるに、」

(三)  控訴人らは、本件休暇闘争は、いわゆる全員一斉休暇闘争ではないから、控訴人らが本件闘争当日欠務したのは正当な年次休暇権の行使というべきであると主張する。

しかしながら、いわゆる一斉休暇闘争とは、これを、労働者がその所属の事業場において、その業務の正常な運営の阻害を目的として、全員一斉に休暇届を提出して職場を放棄・離脱するものと解するときは、その実質は、年次休暇に名を藉りた同盟罷業にほかならない。したがって、その形式いかんにかかわらず、本来の年次休暇権の行使ではないのであるから、これに対する使用者の時季変更権の行使もありえないというべきである(最高裁判所昭和四八年三月二日第二小法廷判決民集二七巻二号二一〇頁参照)が、右にいう「全員一斉に」とは、当該事業場所属の労働者の全員が一斉に行う場合はもとより、休暇闘争に参加する一定割合の組合員が休暇届を提出する場合(いわゆる何割闘争と呼ばれる場合がこれに該当する。)にも、「一斉に」それが提出されるかぎり、右にいう一斉休暇闘争に含まれると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、控訴人らは、本件争議行為の一手段として、前記認定(原判決理由引用)のとおり、その所属する事業場における業務の正常な運営の阻害を目的とする一割休暇戦術に基づき、予め指定しておいた他の組合員と共に計画的・組織的に全員一斉に年次休暇届を提出し、それぞれの職場の管理者から年次休暇を与えない旨伝達されたのにかかわらず、これを無視し、所属事業場における職場を放棄・離脱したものであって、その実質において、年次休暇に名を藉りた同盟罷業にほかならず、本来の年次休暇権の行使ではないというべきである。

控訴人らの右主張は採用することができない。

(四)  次に、控訴人らは、本件闘争においては、準拠点となった各事業場の列車の運行等通常の業務に影響を与えることは目的とされていないのであって、たんに拠点事業場における争議行為を支援したにすぎないのである。そして、結果的にも準拠点事業場における通常の業務には何ら影響を及ぼさなかったのである。また、拠点となった事業場に所属する控訴人らについても、ストライキ当日を除けば、準拠点について右に述べたことはそのまま妥当するのである。従って、控訴人らの年次休暇の請求は、その実質において同盟罷業にあたるものというべきでないと主張する。

しかしながら、控訴人らの各年次休暇の請求は、前認定(原判決理由引用)のとおり、動労北陸地本の闘争指令第四号の二による一割休暇戦術に基づくものであり、右戦術は当局側の勢力を分散釘付けにする一方、拠点地区への助勤等を完全に排除することを目的とするものである。

ところで、被控訴人の経営する鉄道事業の特殊性からみると、同一企業体に属する各事業所は相互に有機的構成部分をなし、ことに本件闘争における拠点及び準拠点事業所相互間は密接不可分の関係にあるものというべく、ある事業場において不測の事態により機関士等の乗務員の不足を生じ、列車の運行等の業務に支障があるときは、他の事業場の予備充当可能乗務員をもって代替勤務させる等業務の円滑な運営を図る必要のあることはいうまでもない。そして、このような各事業所相互間における協力もまた右各事業所の正常な業務の範囲に含まれるものというべきである。

しかるに、本件闘争の一環たる一割休暇戦術は、右闘争に対処する当局側の勢力を拠点事業所に分散釘付けにする一方、準拠点事業所において常時確保している予備充当可能乗務員をして年次休暇を請求させ、職場管理者の年次休暇を与えない旨の意向を無視して欠勤させることによって、本件闘争により乗務員等の不足を生じている拠点事業所に対する代替勤務者の充当を完全に阻止することを目的としたものであるから、準拠点事業所における列車の運行等に対する影響の有無にかかわらず、準拠点事業所の前記業務の正常な運営の阻害を目的として予め指名した乗務員等が一斉に休暇届を提出して職場を放棄・離脱するものというべく、その実質において、年次休暇に名を藉りた同盟罷業であって、本来の年次休暇権の行使ではないというべきである。

してみると、控訴人らの前記年次休暇の請求をもって、単なる他の事業所における争議行為の支援を目的とする場合と同視することはできないものであるから、控訴人らの前記主張は採用することができない。

(五)  控訴人らは次に、控訴人らに対する本件各懲戒処分を含む本件闘争に関する処分は、争議行為による運休列車の多かった昭和四九年春闘及び昭和五〇年春闘と比較して例を見ないほどの大量かつ苛酷な処分であったから、本件各懲戒処分は不当である旨主張する。

しかしながら、懲戒事由に該当する行為を行った職員に対し、懲戒権者が懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかは、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該職員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して決定することができると考えられるのであるが、右のような広範な事情を総合的に考慮して判断すべき時期は右決定の時点であることはいうまでもない。しかして、前記説示(原判決理由引用)のとおり、本件懲戒処分は、その処分当時において、懲戒権者の裁量の範囲内にあるものとしてその効力を否定することのできないものと解するのが相当であるから、右懲戒処分後における懲戒権者の処分内容の変遷と対比して右処分が裁量権を濫用した不当な処分であると主張することは許されないというべきである。

控訴人らの右主張は採用のかぎりでない。

(六)  控訴人らが当審において提出、援用した前記各証拠のうち前記認定(原判決理由引用)に反する部分は措信することができず、他に右認定を動かすに足る証拠は存しない。

よって、右と同旨に出た原判決は相当であって、本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 黒木美朝 裁判官 川端浩 山口久夫)

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